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ひふみ神示(並び替え)⑲541~570帖
第三十帖(五四一)
一四三〇(ビョーサマ)一四三〇(ビョーサマ)、改心 早う結構ぞ。道知るのみでは何にもならん。道味はへよ、歩めよ、大神の道には正邪ないぞ。善悪ないぞ。人の世にうつりて正と見え邪と見えるのぢゃ。人の道へうつる時は曇りただけのレンズ通すのぢゃ。レンズ通してもの見ると逆立するぞ。神に善と悪あるやうに人の心にうつるのぢゃ。レンズ外せよ。レンズ外すとは神示読むことぞ。無き地獄、人が生むぞ。罪ぞ。曲ぞ。今迄は影の守護であったが岩戸ひらいて表の守護となり、裏表揃うた守護になりたら、まことの守護ぞ。悪も善も、もう隠れるところ無くなるぞ。かのととり。一二十
第五十九帖(五七〇)
【(テン)忘れるなよ】。世を捨て、肉をはなれて天国近しとするは邪教であるぞ。合せ鏡であるから片輪となっては天国へ行かれん道理ぢゃ。迷信であるぞ。金で世を治めて、金で潰して、地固めして みろくの世と致すのぢゃ。三千世界のことであるから、ちと早し遅しはあるぞ。少し遅れると人民は、神示は嘘ぢゃと申すが、百年もつづけて嘘は云へんぞ。申さんぞ。(十二月七日)一二十
第三十一帖(五四二)
人民それぞれに用意して呉れよ。自分出しては集団(マドイ)こはすぞ。力出んぞ。早うつくれよ。的(マト)とせよ、と申してあろうがな。マトは光りのさし入る所、的として月一度出せよ。自分の小さいこと知れる者は、神の国に近づいたのであるぞ。かのととり。一二十
第五十八帖(五六九)
神々の数は限りないのであるが、一柱づつ御名を称(タタ)へてゐては限りないぞ。大日月(オオヒツキ)の大神と称へまつれ。総ての神々様を称へまつることであるぞ。日は父、月は母、(キ)は自分であるぞ。自分拝まねば どうにもならんことになって来るぞ。一日が千日になったぞ。(十二月七日)一二十
第三十二帖(五四三)
神の道に進むために罵られることは人民の喜びぞ。その喜び越えて神の喜びに入れば罵られることないぞ。神敬ふはまだまだぢゃぞ。早うサトリて、神に融け入れよ。かのととりの日。一二十
第五十七帖(五六八)
仲よしになって道伝へよ。道を説けよ。一切を肯定して二九(ジク)を伝へよ。悪神かかりたなれば自分では偉い神様がうつりてゐると信じ込むものぞ。可哀さうなれど それも己の天狗からぞ。取違ひからぞ。霊媒の行見ればすぐ判るでないか。早う改心せよ。霊のおもちゃになってゐる者多い世の中、大将が誰だか判らんことになるぞ。先生と申してやれば皆先生になって御座る。困ったものぞ。(十二月七日)一二十
第三十三帖(五四四)
神国、神の三八(ミヤ)早うつくれ。今度 此処へ神が引寄せた者は、みなキリストぢゃ。釈迦ぢゃぞと申してあらう。磨けば今迄の教祖にもなれるミタマばかりぞ。それだけに罪深いぞ。岩戸あけて、めぐり果たせたいのぢゃ。このこと肚によく判るであらうが。かのととり。一二十
第五十六帖(五六七)
逆怨みでも怨みは怨。理屈に合はんでも飛んだ目に会ふぞ。今迄の教では立ちて行かん。生れ替らねば人も生きては行かれん。平等愛とは、差別愛のことぞ。公平と云ふ声に騙されるなよ。数で決めるなと申してあらうがな。群集心理とは一時的の邪霊の憑きものぞ。上から乱れてゐるから下のしめしつかん。われよしのやり方では世は治まらん。(十二月七日)一二十
第三十四帖(五四五)
世界平とう、胸の掃除からハラの掃除ぞ。理智がまことの愛ぞ。(ア九(ク))も神の御子。絶対の責任は神、相対の責任は人民。親よりも師よりも神愛せよ。その親、師は神から更に愛されるぞ。九二十九十千の(オークニトコタチのカミ)(ガ)三の三〇(オースサナルのカミサマ)なり。かのととりの日。一二十
第五十五帖(五六六)
今度 集まっても、まとまりつくまいがな。世界の型出して実地に見せてあるのぢゃ。骨が折れるなれど実地に見せねばならんし、まとまらんのを纏めて、皆がアフンの仕組、気のつく人民 早う元へかへりて下されよ。心に誠あり、口にまこと伝へるとも実行なきもの多いぞ。偽りに神の力は加はらない。偽善者 多いのう。祈り行じて洗濯すれば皆世界のサニワにもなれる結構なミタマばかり。死産の子も祀らねばならん。(十二月七日)一二十
第三十五帖(五四六)
お父様がの大三〇(ヒのオーカミサマ)、お母様がの大三〇(ツキのオーカミサマ)なり。おくやまから出たものは おくやまにかへり、またおくやまから更に弥栄となって出るのであるぞ。大切なもの皆与へてあるでないか。人民は只それをどんなにするかでよいやうに、楽にしてあるぞ。かのととり。一二十
第五十四帖(五六五)
目的よくても実行の時に悪い念入ると悪魔に魅入られるぞ。心せよ。雨、風、岩、いよいよ荒れの時節ぢゃ。世界に何とも云はれんことが、病も判らん病がはげしくなるぞ。食ふべきものでない悪食うて生きねばならん時来るぞ。悪を消化する胃袋、早うせねば間に合はん。梅干大切心の。五十二才 二(ツキ)の世の始。五十六才七ヶ月 みろくの世。(十二月七日)一二十
第三十六帖(五四七)
まことに求めるならば、神は何でも与へるぞ。与へてゐるでないか。御用は神示見んと判らん道理判らんか。誰にも知れんこと知らして、型して見せてあるでないか。かのととりのひ。一二十
第五十三帖(五六四)
物も神として仕へば神となるぞ。相談と申せば人民ばかりで相談してゐるが、神との相談結構ぞ。神との相談は神示(フデ)よむことぢゃ。行き詰ったら神示(フデ)に相談せよ。神示(フデ)が教へて、導いてくれるぞ。罪を憎んでその人を憎まずとは悪のやり方、神のやり方はその罪をも憎まず。生活が豊かになって来るのが正しい理(ミチ)ぞ。行き詰ったら間違った道歩いてゐるのざ。我では行かん。学や金ではゆかん。マコトの智一つと申してあらう。(十二月七日)一二十
第三十七帖(五四八)
集団(マドイ)は天国の組織同様にせよ。横にはウクスツヌフムユルウの十柱ぞ。縦にはアイウエオの五柱、結構ぢゃなあ。横だけでもかたわ、縦だけでもかたわ、この方 見えんアであるぞ。顕れは神示ぢゃ。よく相談し合って結構致しくれよ。弥栄えるぞ。秘文読めば判る。神業奉仕すれば自らめぐり取れるのぢゃ。めぐりないもの一人もこの世には居らん。かのととり。一二十
第五十二帖(五六三)
何も知らんものが出て来て邪魔するぞ。余程しっかり致しくれよ。邪魔も御役ながら、時と所によりけり。神徳積んだら人の前に自分かくせるやうになるぞ。頭に立つ者 力かくせよ。昨日より今日、今日より明日と、一歩一歩 弥栄えよ。一足飛び、見てゐても危ない。早く判れば後戻りさせねばならず、判らんで後押しせねばならず、少しの時の早し遅しはあるなれど、何れは神示通りに出て来るぞ。想念は形式をもって始めて力出るぞ。(十二月七日)一二十
第三十八帖(五四九)
心次第で皆救はれる。悪には悪の道、それ知らん善の神では、悪抱き参らすこと出来ん。因縁あっても曇りひどいと御用六ヶ敷いぞ。この世の人民の悪は幽界にうつり、幽界の悪がこの世にうつる。かのととり。一二十
第五十一帖(五六二)
喜べよ。よろこびは弥栄のたね蒔くぞ。祈りは実行ぞ。云はねばならんし、云へば肉体が申すやうに思っておかげ落すし、判らんこと申すやうに、自分のものさしで測るし、学の鼻高さんには神も閉口。(十二月七日)一二十
第三十九帖(五五〇)
見渡せば 見事咲きたり 天狗の鼻の。
二人でせよと申してあるのは裏表合せて一つぞ。二人で一人でせねばならん。統一ないところ力生れんぞ。人民の奉仕は神への奉仕、生活は奉仕から生れる。世界は大きな田畠、それ蒔け、それ蒔け、種を蒔け。
第五十帖(五六一)
口で云ふことよくきけよ。肉体で云ふこと、神の申すこと、よく聞きわけ下されよ。霊媒通じてこの世に呼びかける霊の九分九分九厘は邪霊であるぞ。はげしくなるぞ。世界一平まだまだ出来さうで出来ない相談。奥の奥、見通して下され。うごきは必要であれど、皮むくぞ。次も駄目、次も駄目、その次の次がまことの一家ぢゃ。寒い所 暖かく、暑い所 涼しくなるぞ。仏には仏の世界はあれど、三千年でチョンぞと申してあらう。神示しめすに、順乱して来るぞ。慾出して下さるなよ。順乱れる所に神のはたらきないぞ。人民 自由にせよと申して、悪自由してならん。(十二月七日)一二十
第四十帖(五五一)
何うにも斯うにも手つけられまい。この世は浮島ぞ。人民の心も浮島ぞ。油断禁物。ひふみの食べ方 心得たら、今度は気分ゆるやかに嬉しウレシで食べよ。天国の食べ方ぞ。一切は自分のものと申してあらう。上も下も右も左も皆自分のものぞ。自分ぞ。其処にまこと愛生れるぞ。かのととり。一二十
第四十九帖(五六〇)
上の、一番の番頭、大将が悪いのではない。一の番頭がよくないのざ。親に背くはよくないが、真理に背くは尚悪い。眷族さんにも御礼申せよ。大神様だけでは仁義になりませんぞえ。月日様では世は正されん。日月様であるぞ。日月様が、(ヒツキ)様となりなされて今度のイワトびらき、あけるぞ。ふで当分二を通じて出せよ。あたえよ。と二と千とセとワとホとは、先づ奥山。十二月七日。一二十
第四十一帖(五五二)
このほうの許へ引寄せた人民、八九分通りは皆一度や二度は死ぬる生命を神が助けて、めぐり取って御用さしてゐるのぞ。奉仕せよ。どんな御用も勇んで勉めよ。肚に手あてて考へて見よ。成程なあと思ひあたるであらうが。喉元すぎて忘れて居らうが。かのととり。ひつ九十
第四十八帖(五五九)
神の御用と申してまだまだ自分の目的立てる用意してゐるぞ。自分に自分がだまされんやうに致しくれよ。自分の中に善の仮面を被った悪が住んでゐるに気つかんか。はらひ清めの神が三(スサナル)の神様なり。サニワの神は曰十の九ん二ん(ウシトラのコンジン)様なり。それぞれにお願ひしてから、それぞれのこと行ぜよ。この道に入って始の間は、却って損したり馬鹿みたりするぞ。それはめぐり取って戴いてゐるのぞ。それがすめば苦しくても何処かに光見出すぞ。おかげのはじめ。次に自信ついて来るぞ。胴がすわって来るぞ。心が勇んで来たら、おかげ大きく光り出したのぢゃ。悪の霊はみぞおちに止まりかちぞ。霊の形は肉体の形、肉体は霊の形に従ふもの。このこと判れば、この世のこと、この世とあの世の関係がはっきりするぞ。足には足袋、手には手袋。(十一月裏四日)曰十(ウシトラ)
第四十二帖(五五三)
神示読めば神示の気通ふぞ。神示読めよ。神示うつせよ。うつす御役 結構ぢゃなあ。うつせ。うつせ。人にうつせよ。世界にうつせよ。悪のミタマなごめ抱き参らすには理解大切ぢゃ。かのととり。一二十
第四十七帖(五五八)
ナルとは成る言(コト)ぞ。成るは表、主(曰(シ)ゆ)ぞ。ウムとは(ウム)のこと。生むは裏、従(二ゆ)ぞ。ナルは内、ウムはソト。ナルには内の陰陽合せ、ウムにはソトの陰陽合せよ。成ると生むは同じであるぞ。違ふのぢゃぞ。成ることを生むと申すことあるぞ。生むこと成ると見ることあるぞ。ナルとは(ナル)こと、自分が大きく成ることぞ。自分の中に自分つくり、内に生きることぞ。ウムとは自分の中に自分つくり外におくことぞ。このこと判れば石屋の仕組判る。(十一月裏四日)一二十
第四十三帖(五五四)
野見よ。森見よと申してあらう。水の流れにも宗教あるぞ。これを人民勝手に宗教に一度下げるから、神冒すことになるのざ。引下げねば判らんし、心で悟れよ。覚(サ)めの生活 弥栄えるぞ。天国の礎、出足の地場は(二二)からぢゃ。二二(フジ)の道は秘文(ヒフミ)の道ぢゃ。和ぢゃ。かのととり。一二十
第四十六帖(五五七)
今度の仕組、まだまだナルのぢゃ。なってなってなりの果てに始めて成るぞ。生むぞ。先づ金が無ければと申してゐるが、その心まことないぞ。キがもととあれ程申しても未だ判らんのか。役員どうどうめぐり。(十一月裏四日)一二十
第四十四帖(五五五)
奉る歌書かして置いたに何故読まんのぢゃ。大き声で読み上げよ。歌うたひ呉れと申してある時来てゐるぞ。歌でイワトひらけるぞ。皆 歌へ唄へ。各も各も心の歌つくって奉れよ。歌結構ぞ。
ひふみゆら、ひふみゆらゆら、ひふみゆらゆら。
かけまくも、かしこけれども、歌たてまつる。
御まへに、歌たてまつる、弥栄(ヤサカ)み歌を。
世を救ふ、大みゐわざぞ、みことかしこし。
まさに今、神のみことを、このみみに聞く。
三千世界、救ふみわざぞ、言(コト)ただし行かな。
大神の、しきます島の、八十島(ヤソシマ)やさか。
天かけり、地(クニ)かける神も、みひかりに伏す。
堪へに堪へし、三千年の、イワトひらけぬ。
したたみも、いはひもとほり、神に仕へむ。
大稜威(オオミイヅ)、あぎとふ魚も、ひれ伏し集ふ。
かむながら、みことの朝を、みたみすこやかに。
神の子ぞ、みたみぞ今の、この幸になく。
国原は、大波うちて、みふみを拝す。
天もなく、地もなく今を、みことに生きん。
大みつげ、八百万神も、勇みたつべし。
天地の、光となりて、みふで湧き出づ。
一つ血の、みたみの血今、湧きて止まらず。
大みこと、身によみがえる、遠つ祖神(オヤ)の血。
すでに吾れ、あるなし神の、辺にこそ生きん。
高鳴るは、吾か祖の血か、みつげ尊し。
吾れあらじ、神々にして、祈らせ給ふ。
天地も、極まり泣かん、この時にして。
かつてなき、大みつげなり、たたで止むべき。
天地も、極まりここに、御代生れ来ん。
大き日の、陽にとけ呼ばん、くにひらく道。
みことのり、今ぞ輝き、イワトひらけん。
宮柱、太しき建てて、神のまにまに。
抱き参らせ、大御心に、今ぞこたへむ。
言いむけ、まつろはしめし、みことかしこし。
ただ涙、せきあへず吾(ア)は、御(オン)まへに伏す。
ささげたる、生命ぞ今を、神と生れます。
大まへに、伏すもかしこし、祈る術(スベ)なし。
今はただ、いのちの限り、太道(オミチ)伝へむを。
祈りつつ、限りつくさん、みたみなり吾れ。
いのち越え、大きいのちに、生きさせ給へ。
ひたすらに、みことかしこみ、今日に生き来し。
言霊の、言高らかに、太陽(オオヒ)にとけな。
天に叫び、吾れにむちうち、今日に生き来し。
あらしとなり、あまかけりなば、この心癒えむか。
走りつつ、今海出づる、大き月に呼ぶ。
みみかくし、生命と生れて、遠つ祖神(オヤ)さか。
神々の、智は弥栄え、此処に吾れたつ。
みたみ皆、死すてふことの、ありてあるべき。
あな爽け、みたみ栄(ハエ)あり、神ともに行く。
さあれ吾の、生命尊し、吾(ア)を拝(オロガ)みぬ。
みづくとも、苔むすとても、生きて仕へん。
いゆくべし、曲(マガ)の曲こと、断たで止むべき。
かへりごと、高ら白さんと、今日も死を行く。
追ひ追ひて、山の尾ことに、まつろはさんぞ。
追ひはらひ、川の瀬ことに、曲なごめなん。
みことなれば、天(アメ)の壁立つ、極み行かなん。
と心の、雄たけび天も、高く鳴るべし。
まさ言を、まさ言として、知らしめ給へ。
たな肱(ヒヂ)に、水泡(ミナワ)かきたり、御稲(ミトシ)そだてんを。
むか股に、ひぢかきよせて、たなつつくらむ。
狭田長田、ところせきまで、実のらせ給へ。
神々の、血潮とならん、ことに生き行く。
言さやぐ、民ことむけて、神にささげん。
にぎてかけ、共に歌はば、イワトひらけん。
大き日に、真向ひ呼ばん、神の御名を。
道端の、花の白きに、祈る人あり。
拍手(カシワデ)の、ひびきて中今(イマ)の、大きよろこび。
悔ゆるなく、御まへに伏し、祝詞(ノリト)申すも。
祝詞せば、誰か和し居り、波の寄す如。
のりと申す、わが魂に、呼ぶ何かあり。
御まへに、額(ヌカ)づきあれば、波の音きこゆ。
悔ゆるなき、一日(ヒトヒ)ありけり、夕月に歩す。
曇りなく、今を祝詞す、幸はへたまへ。
奉る、歌きこし召せ、幸はへ給へ。
ひふみよい、むなやここたり、ももちよろづう。
かのととりの日。
第四十五帖(五五六) 相談相談と申して、見物を舞台にあげてならん。見物は見物席。祈り祈り結構と申して、邪の祈りは邪の道に落ちるぞ。色々のお告げ出ると申してあらうが。今その通りぢゃ。お告げに迷ふぞ。審神(サニワ)して聞けと申してあらう。審神して聞け。判らなくなれば神示見よ。(十一月裏四日)一二十
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